大判例

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東京高等裁判所 昭和42年(う)2467号 判決 1968年2月12日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

<前略>所論は、自動車の運転手が助手の誘導によつて車両を後退させる場合には、バックミラーによつて後方を確認し、助手の誘導に従うだけで注意義務を尽したものと解すべきであり、助手の安全は、助手自らこれを図るべきである、したがつて、本件被告人が、原判示コンクリート柱の前に助手矢島輝男の立つていたことを予測しなかつたとしても被告人の過失ではない、しかるに原判決が、原判示のごとく注意義務を解し、本件事故が被告人の過失によるものと認定したのは事実を誤認したものであると主張するので、その所論に徴して按ずるに、原判決挙示の各証拠その他記録並びに当公判廷における被告人の供述によれば、原判示のごとく被告人が運転した自動車は、いわゆる大型貨物自動車でいすゞTX五五二型六二年式、長さ7.55メートル、巾2.32メートル、高さ2.32メートル、後部荷台下部の高さは地上から1.17メートル、その外枠の高さは0.58メートル、右ハンドルで、本件当時、後部荷台には荷物が積まれ、幌がつけられていたこと。被告人は原判示の日午前八時五分ころ、本件被害者たる矢島輝男を助手(なお、同人は、被告人と同じ菊地運輸株式会社に助手として勤務していたものであり、平素から被告人の自動車に同乗していた。)として同乗させ、前記自動車を運転して原判示日立熱器具株式会社埼玉工場に荷物(ダンボール箱)を運搬して行つたが、同工場は初めての運搬先であつたので、荷物を卸す場所を尋ねさせるため、同工場正門附近の守衛所前で矢島を降ろしたこと。そして、被告人は、正門から北に通ずる工場構内の中央道路を徐行して行つたところ、その道路から西側へT字に岐れている全長約17.7メートル、幅約9.12メートルの道路(その両側には縁石がある。以下、積卸道路という。)の突き当りに建つている第二工場東側のコンクリートたたきの部分(以下、荷物積卸場という。)に、被告人の運搬してきた荷物が積まれてあるのを見たので、そこが積卸場と判り、そこへ自動車をつけようと思つて一旦停止し、車内からその積卸道路の状況を伺つたこと。そのころ、積卸道路の畧々中央(左右、前後とも。)附近に一台の大型トラックが停止していたので、被告人はその右(北)側に自分の自動車を後退させて入れようと考え、中央道路を若干前進して積卸道路を少し行き過ぎたところで再び停止し、そこから後退を始め、序々にハンドルを左に切つて積卸道路に後退して入つて行つたが、車体が積卸道路と畧々平行になる直前ころ、矢島が前記第二工場東側たたき部分を、被告人が車をつけようとしている積卸場の方向に歩いてくるのを、右斜後方約二二メートルの地点に現認したこと(そのときの矢島の位置は、後記本件事故のコンクリート柱から約一八メートル南方の地点)。被告人は、引き総き後退し、前記中央に停車しようとしたさい、自車後方(真後ろ部分、すなわち両側バックミラーの死角内の部分)から、矢島が「オーライ。オーライ。」と言つて自車を誘導する声を聞いたこと(そのさい被告人の自動車の位置は、その左側から積卸道路北側の縁石まで約0.5メートル、運転席から荷物積卸場のたたきの端、すなわち積卸道路の終点まで約一〇メートルのところであり、被告人の自動車の長さが前記のごとく7.5メートルであることを考慮に入れると、自動車の後部とたたきの端とは僅かに四メートル前後の距離となる。)。被告人は、右のごくと矢島の声を聞いたので、同人がいつものごとく自車を誘導してくれているものと信じ、自動車を停止することを思い止まり、徐行してさらに後退を続けたところ、前記積卸場のたたきの部分に立つている正面の巾約九〇センチメートル、奥行約七〇センチメートルのコンクリート柱の正面の左寄部分と自車左後部との間に矢島を挾圧して死亡させる結果を招いたものであることが、それぞれ認められる。

ところで、記録によるも、被告人が前記のごとく矢島の誘導の声を聞いた地点までの運転(後退)方法には、被告人に過失その他の責むべき事由があつたものとは認められない。それ故、本件事故に対する被告人の責任の有無は、同地点以後の後退方法、すなわち、前記のごとく僅か四メートル前後の間の後退方法に関することとなる。そこで、その間における被告人の過失の有無について按ずるに、およそ自動車の運転者が車両を後退させるにあたつては、常に後方の安全を確認したうえでしなければならない業務上の注意義務が存することは当然であり、その安全を確保する方法としては、原判示のごとくバック・ミラーにより、あるいは運転者自ら一旦車から降り、あるいはまた車窓から身をのり出してするほか、補助者の誘導を求める等、車両周辺の状況に応じ、機宜の方法を尽して万全を期すべきは経験則に照らして明らかである(昭和一四年一一月二七日大審院判決、同院刑事判例集第一八巻五四四頁、補助者の誘導につき昭和四〇年一〇月二七日当裁判所判決、高裁刑事判例集第一八巻第六号六九八頁等)。しかして、補助者たる助手の誘導によつて後退する場合であつても、運転者自らの後方安全の確認義務を免れるわけではないが、その助手の誘導がある場合には、運転者が、当該助手自身の安全は助手自らこれを確保して誘導するものと信じて運転することは許されるものと解すべきであるから、助手が誘導する以上、その助手の誘導と相反する、すなわち助手の予期しない進路を後退するとか、あるいは予想外の高速で後退する等格別の事情の存在しない限り、運転者においてさらにその助手自身の安全如何までも確認したうえ運転するのでなければ後方確認の義務を尽したものといえない、ということはできないものと解する。右のごとく解するのでなければ、助手本来の職責とその誘導をなす趣旨そのものが没却される結果を招くことは所論のとおりである。

いま、これを本件についてみるに、記録によれば、被告人の自動車は前記のごとく後部荷台に幌がつけられてあつたため、自ら降車する以外、その後方(真後ろ)の見透しは不可能であつたのに、被告人が降車してその後方の安全を確認した事実は認めがたいが、前記のごとく中央道路から、および同道路から後退して積卸道路に入るまでの間に、積卸道路およびたたき附近の安全を十分確認していること、矢島の「オーライ。オーライ。」の声を聞いてからは、同人が誘導してくれていることを知りながらも、自車両側のバックミラーで見透しうる範囲の後方については自らその安全を確認しながら、徐行して後退したものであることが認められるとともに、他方、被告人自ら降車するなどして、誘導中の助手自身の安全を確認しなければならなかつたような前記格別の事情の存在した事実を確認するに足る証拠を発見しがたい。

原判決は、矢島は、被告人の自動車が後退する最初から終始誘導していたものではない、被告人は矢島の「オーライ」「オーライ」という声を二声続いて聞いただで間もなく衝突のショックを感じている、矢島の姿も現認していない、矢島はまた、右のごとく途中から誘導に入つたので自動車の進路、速度について十分な認識がなく、自動車の停止位置についても被告人との間に十分な意思の疏通がなかつた等の事実を挙げ、通常の自動車運転者と助手の誘導の関係とは異なる旨判示しているが、被告人と矢島とは、平素から組をなしている運転者と助手の関係にあり、前記のごとく守衛所で矢島が降りたのも、荷物の卸場所を尋ねるためであつたし、その後同人は前記積卸場の方向を歩いて来て被告人に「オーライ。オーライ。」と声をかけていることに徴すれば、被告人と矢島との間に原判決が指摘するような格別の打合せがなかつたとしても、矢島は被告人の自動車の後退の目的、したがつて停車すべき位置を諒解して誘導したものと認めるになんらの妨げとなるものではなく、被告人はまた、たとえ右のごとく格別の打合せがなく、かつ、矢島の位置を自車の真後ろ部分内というだけでそれ以上の正確な位置を確認しなかつたとしても、矢島が、平常のごとく自車の誘導を開始してくれたものと信ずるにつき過失があつたものとも認めがたいのであるから、原判決のごとく矢島の誘導が通常の助手の誘導と本質的に異るものと解することはできない。なお、矢島が「オーライ。オーライ。」と二声だけしか言わなかつたという点についても、前記のごとく自動車の後退距離が僅か四メートル前後の直線部分であつたことに徴すれば、いささかも不自然なものではない。

原判決はまた、被告人は自動車の両外側バックミラーも見ていなかつた旨判示し、その根拠として、原審における最初の検証にさいし、本件事故後矢島が倒れていた位置として被告人が指示したところに同人が立つていたものとすれば、十分バックミラーで現認しえた筈であるのに被告人は矢島を現認しなかつた事実を援用している。しかし、記録によれば、前記積卸道路の路面は、大部分が非舗装の砂利敷であること、その積卸道路の北側の縁石は高さ、幅いずれも約一五センチメートルで、前記コンクリート柱の正面畧中央に突き当つており、その縁石の内側に幅約四〇センチメートルの側溝(コンクリートの蓋があつて路面の一部をなしている。)があり、その側溝の内側の線は前記コンクリート柱の左端と畧々一致していること、被告人は右縁石と全く平行して後退したものではなく、幾分斜めに、序々に北側に寄つて行つたものではあるが、大体その縁石に沿うて後退したというのであるから、自動車の車輪より若干外側にはみ出している車体は側溝上にかかる状態になることが認められるところ、さすれず被告人の自動車の左外側バックミラーによつては、後記コンクリート柱正面の左寄りの部分の見透しはできないことは原審の検証調書(昭和四二年四月六日実施のもの)の記載によつて明白である。しかして、原判決にいわゆる被告人の指示地点(矢島の転倒位置)は、コンクリート柱の正面で、前記縁石が突き当つた箇所よりは右側の地点であることが明らかであり、同地点は被告人の自動車の左外側バックミラーによつて見透しが可能であることは原審の検証調書(前記昭和四二年四月六日実施のもの。)によつて認められるが、そもそも、矢島が挾圧されて転倒していた地点は、原審の最初の検証における達栄一の指示、並びに司法警察員作成の昭和四〇年一二月三日付実況見分調書(とくに同調書添付の写真(3)の血痕の状況)等各証拠によれば、右縁石の突き当つた箇所の右側部分ではなくて左側部分であり、しかもその左側部分のうちの左寄りの箇所である(その箇所は、前記のごとく被告人の自動車の左外側バックミラーによつては、見透しは不可能な場所である。)ことが認められるのであるから、原判決の説示するところはその前提を誤つたものというべく、したがつて原判決のごとく、被告人が事故前矢島の姿を現認しなかつたからといつて、直ちにバックミラーそのものを見なかつたものと即断することはできない。

ただ、前記のごとく矢島は被告人の自動車左後部とコンクリート柱正面との間に挾圧されたという事実に徴すれば、被告人の自動車は、かりに矢島がそこに居なかつたとしても、右コンクリート柱に衝突あるいは接触することになり、そうだとすれば、その点は後退進路の確保を誤つた過失が存するといえないわけではない。すなわち、被告人は、大体縁石に沿うて後退したのであるから、車輪より若干外側にはみ出している車体は側溝上にかかる状態になることは前記のとおりであつて、そのまま後退すれば前記コンクリート柱の左寄り部分に衝突あるいは接触することは明らかというべく、したがつて、車体の位置が側溝上にかからないように、車輪を側溝より離して後退すべき注意義務があつというべきではあるが、それも、車体が車輪よりもはみ出ている程度の誤差に過ぎないのみならず、記録によれば、その柱の附近にはなんら進行を妨げるがごとき障害物はなかつたのであるし、また、当時、前記埼玉工場においては始業のベルが鳴り終つた直後であり、本件事故現場附近には他に人は居らず、かかる状況は、被告人が中央道路から後退を開始するにあたつて現認していたことが認められるのであるから、被告人において、右コンクリート柱附近に人が居り、自車がそのコンクリート柱に接触あるいは衝突することによつて人に危害を及ぼすことあるを予見すべき状況にあつたとは認めがたい。それ故、右のごとくコンクリート柱に衝突ないし接触するとの点につき被告人に若干進路を誤つた過失があるとしても、そのことを捉え、助手の予期せざる進路を後退したとして被告人に本件事故の責任を嫁することはできない。いわんや、被告人の後退距離は、前記のごとく僅か四メートル前後のことであり、その間を徐行して後退したことが明らかであるから、右進路の是正は、誘導中の矢島においても、これを是正するように被告人に対して指示すべきであり、被告人としても、このことを期待するは格別、右のごとき後退進路上に当該助手自身が佇立していて危難に遭うがごとき状況にあるなどとは到底予測しがたいことである。

なお、原判決は被告人が最徐行をしなかつたと判示しているところ、前記のごとく矢島が現にコンクリート柱に挾圧されて死亡している事実に徴し、被告人は、矢島において退避する暇のないような後退運転をなしたのではないかとの疑いをさしはさむとしても、医師田中等作成の「浦地刑第八二号照会書に対する回答」と題する書面の記載によれば、矢島の頭部は脳挫傷、頭蓋底骨折など直接の死因をなした傷害の部分であるのに、その頭部には外傷を留めていなかつたこと、胸部に存した打撲傷も軽度の打撲擦過傷であつたことが認められ、かかる外表上の損傷の程度に徴すれば、被告人の後退方法が、矢島において退避する暇のないような高速あるいは急激なものであつたとして、被告人の徐行したという主張を斥けることはできない。

その他記録を精査して検討するも、自動車の運転者たる被告人において、自車の後退を誘導中の助手自身の安全を確保するにつき、自ら降車するなどしてとくに注意を払わなければならなかつたような特段の事情が存したことを認めるに足る証拠を発見しがたいから、被告人の前記後退の運転方法に過失を認むべき証拠は存在しないので、結局、本件犯罪についてはその証明なきことに帰着し、論旨は理由あり、原判決は破棄を免れない。<後略>(三宅冨士郎 石田一郎 金隆史)

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